頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

東北チャリ 其の4

7日目は十和田からひたすら下る。

十和田から程なく進むと八戸市に着く。八戸は漁業の町というイメージしかなかった。しかし実際の八戸は、青森県南部そして岩手県北部の中心地として賑わいを見せていた。

八戸で昼食をとる。先述したとおり、八戸は漁業が盛ん。特にイカとサバが有名で昼食でも八戸産のイカとサバが食べれる定食にした。ついでにホッケとせんべい汁も着いてきた。

八戸のイカは柔らかくて甘い。サバは醤油につけると脂が浮くほど脂が乗っている。魚介の美味しい街はこれだから困る。

せんべい汁というのは八戸周辺地域の郷土料理。せんべい汁用に作られた南部煎餅を味噌汁に入れた料理で肝心のせんべいは汁に浸るともちもちして美味しい。

八戸から6キロほど進むと蕪島がある。蕪島は時折メディアでも取り上げられる島だ。国内屈指のウミネコの繁殖地だからだ。ウミネコは春に蕪島へやって来て子育てをし、夏を迎える前に各地へ飛び立つ。繁殖期には何万羽ものウミネコ蕪島に集まるというから驚きだ。

蕪島にある神社は火災によって現在も再建中らしい。 

蕪島にやってきたウミネコは各地に羽ばたくが、それでも一部のウミネコはまだ留まっていた。ここのウミネコは全く警戒心がなく、近寄ってもあまり逃げる素振りを見せない。近くでウミネコを見ると意外と凛々しい姿をしている。

蕪島から目と鼻の先の距離に種差海岸がある。

種差海岸には「八戸うみねこライン」と名のつけられた道路が走っている。晴れていて気持ちが良かった。

種差海岸は真っ青な海と綺麗に整えられた芝生のコントラストが美しい。

 

かつて種差海岸には馬が放牧されていたそうで、馬が草を食べることで芝生を保っていたそう。今は放牧しておらず人が管理している。

この日は種差海岸から輪行して久慈市で夜を迎える。

たまたま久慈市で入ったラーメン屋がかなり美味しかった。魚介系のスープが好きな人にとってはたまらない一品であろうと思う。

8日目は5時前に起床した。理由は朝日を見るためだ。久慈市にある小袖海岸は朝日が綺麗な海岸として有名。

小袖海岸で朝日を眺めていると、地元の漁師の方が差し入れをくださった。ポカリスエットとおにぎりである。東北の方は本当に優しい方ばかりである。

朝日を見終え今度は三陸鉄道に乗り龍泉洞まで向かう。

三陸鉄道東日本大震災で大ダメージを受けた鉄道会社である。地元沿線住民の方の熱い応援や自治体の補助もあって今では全通している。

三陸鉄道の車窓をぼんやり眺めていると、同じデザインで比較的新しい家が並んでいた。「そうか、ここも震災で大きなダメージを食らったのか」と思いながら、今まで会ってきた東北の方がとても頼もしく思えてきた。震災の跡は、消そうと思っても「消そうとする努力」によってまた露わとなるのだ。

そんなことを考えながら乗っていると龍泉洞の近くまできた。龍泉洞岩手県にある巨大な洞窟で地底湖が非常に大きい洞窟だ。洞窟内は幻想的な色で照らされ面白い。

この日はうに弁当を食べる。私はよく知らないのだが、このうに弁当はあまちゃんと関係があるらしい。そうだ、久慈市あまちゃんの舞台だったんだ、とこのとき気付かされた。

龍泉洞からはひたすら盛岡まで輪行する。

盛岡に着いてまずは腹ごしらえ。盛岡には盛岡3大麺というのがあるらしいが、じゃじゃ麺もそのうちの1つ。うどんの上に肉味噌のようなものを乗せ混ぜて食べる。不味いわけがなくあっという間に平らげた。暑い時期にはうってつけの麺類だ。

翌日に待ち受ける「試練」を覚悟しながらこの日は眠りについた。

東北チャリ 其の3

5日目の朝を深浦町で迎えた。

海岸沿いをずっと走っていると「千畳敷」といわれる景勝地がある。大概、海岸沿いで千畳敷と名のつく観光地は、だだっ広い岩が広がっているだけなのだが、青森県千畳敷は違った。岩の色が奇妙なのである。地学は疎いのでどうしてこのような岩の色になるのかはわからない。しかし、青色とも緑色ともいえない不思議な色の岩が広がる。

千畳敷の側で民宿を経営している方に青森県産のりんごをご馳走になった。りんごを頂くと、自分が今、青森県にいるという事実に改めて気付かされる。

この日の昼食は鰺ヶ沢町でとる。鰺ヶ沢はヒラメが有名らしくヒラメの漬け丼を食べた。たんぱくな身質だが、旨味があって美味しい。漬け丼の漬け汁と柚子胡椒の相性は抜群だ。

実は鰺ヶ沢にはかつて世間の人気者になった「わさお」がいる。現在は12歳。犬で12歳というと高齢犬の部類に入り「わさお」はいつも寝ていた。本来ならばそっとしておかなければならないのだが、他の観光客は起こすのに躍起になっていた。

犬を可愛がるのは良いことだが、犬の気持ちや状況も考えて可愛がらなければならない。そのような状況で見物させる飼い主も飼い主だが、観光客側のモラルも問われる。

途中に見えた津軽富士こと岩木山である。晴れていれば手前の田んぼとあいまって美しく見えたことであろう。

弘前市内についてまずはアップルパイを食べた。弘前市では有名なアップルパイらしい。中身もパイ生地もすべて美味しくこぼさず食べるのに苦心した。

弘前といえば弘前城。このあたりは戦国後期の戦国大名津軽為信によって発展した。

弘前城の石垣は現在、修復工事中で天守だけ石垣から移動させている。レールを使って天守だけ移す技術があるらしく、天守が動いている姿を見ればかの津軽為信とはいえ驚嘆したはずである。

弘前市内でも地元の方に「津軽のりんごは美味しいから」という理由でりんごを頂いた。津軽の方たちのりんご愛はとても深そうである。

6日目は弘前市内から十和田湖へ抜ける。

十和田湖まで弘前市内から1000m程あがらなければならない。しかし、斜度もそれほどきつくなくなんなく登り終えた。

十和田湖はきれいな場所ではあるが、店も少なく人が多い割に閑散とした印象を受ける。湖岸にはいくつか廃墟となったホテルやレストランも多い。美しい場所なだけにもったいなく思う。

十和田湖から目と鼻の距離に奥入瀬渓流がある。奥入瀬渓流は日本屈指の渓流である。短い区間に滝があったと思ったら穏やかな流れもあり、川の様々な一面を見せてくれる。

1日の終わりは十和田市内。十和田にはかつてB-1グランプリで金賞を獲った「十和田バラ焼き」というグルメが存在する。バラ焼きは牛のバラ肉と玉ねぎを、すき焼きのタレのような味のするタレで焼いて食べる。甘くて少し塩辛くてご飯を食べずにいられない。

なんだかんだで6日目も100km/1000mアップの長丁場だった。

東北チャリ 其の2

3日目は男鹿半島の付け根からスタートする。男鹿半島を一周する時間はないが、男鹿半島の真ん中の寒風山を経由し先端の入道崎まで行く。

寒風山はとても変わった山である。標高はわずか350mくらいであるが、山全体が芝生で覆われているのだ。低山なのに木が生えておらず見通しのいい山なんて珍しい。

寒風山から広がる景色は八郎潟が埋め立てられて出来た水田地帯である。戦前の探検家が寒風山から見える景色を「世界3大眺望」の1つとしたが、山の麓に八郎潟が広がる風景は圧巻だったのだろう。今となっては面影さえ残っておらず少し残念である。

寒風山を出てしばらく海沿いを走ると男鹿半島の先端部分につく。それが入道崎である。

入道崎はいかにも日本海側といった具合で優しい野原の先にはゴツゴツした険しい海岸線が広がっていた。

入道崎には「入道崎灯台」という有名な灯台がある。今でも現役だそう。男鹿半島の先で船舶を守り続けている。

入道崎で昼食を取る。秋田県はハタハタという魚が有名である。日本三大魚醤の1つである秋田名産のしょっつるはハタハタから作られる。

昼はそのハタハタの天丼。ハタハタの身は淡白でふわふわした食感。少し独特な風味があるが、脂が甘く美味しい。

3日目は能代まで漕いだあたりでステイする。

 

翌日は能代から深浦町まで漕ぐ。

深浦町青森県を代表する海産物の産地で各地に港の風景が広がっている。

深浦町はいかの塩焼きを名物の1つにしており、いか焼きを販売している店の近くではいかを干している様が見える。

深浦町白神山地の玄関口でもある。とても様々な顔を持った広い町である。

白神山地まで自転車で登り目当ての十二湖を見に行く。

十二湖は江戸時代に近くの山が噴火した際に、川が岩で堰き止められて出来た大小約15個の湖の総称である。

その中で特に有名なのが青池である。青池は名の通り青い池なのであるが、透明度と絵の具をそのまま垂らしたかのような青さを両立した不思議な池である。写真では分かりにくいかもしれないが、実際に青池を見ると誰もが驚きを隠せない。現在も青さの理由が分かっていないそうである。

十二湖を出てしばらく走ると岡崎海岸という場所につく。

岡崎海岸は夕陽がよく見える海岸として有名で夕陽を見てその日を終えた。

夕御飯は奮発して海鮮丼。もちろん深浦町で獲れた魚介類で作った海鮮丼である。ウニ、いくら、マグロ、ヒラメ、アワビなどが入っていた。

若造の癖に生意気だ、といわれること承知でいうがやはりウニは生ウニに限る。ウニの産地以外で食べるウニは薬品臭くて食べれたものじゃない。

東北チャリ 其の1

ブログを掲載するのは久しぶりのことだ。なぜなら私はずっと東北にいたからである。

東日本に居住している人にとって東北はそこまで遠い存在ではないかもしれないが、西日本に居住する私にとっては東北は北海道以上に遠い存在である。

大阪から東北に行くには新幹線、自動車、飛行機といった手段が考えられるが、いずれも高く手が出せなかった。

今回、大学のサークルで東北に行く機会が出来た。そこで東北の旅行記を綴っていく。

 

今回のルートは秋田県青森県岩手県宮城県である。

大阪から秋田空港までは飛行機で行った。自転車を運びたかったので格安航空会社を利用するわけにも行かずJALANAを使用するしかなかったのだが、「スカイスキャナー」というアプリを使えば外国の航空券販売代理店を経由して時には半額以下の価格で航空券を買うことができる。

そのおかげで伊丹空港秋田空港間を6,600円で移動することができた。

もし遠国を訪れたいと思う人がいれば、スカイスキャナーは利用する価値がある。

 

秋田空港に着いた頃にはもう昼の2時。秋田空港から秋田市街地までおよそ20km。自転車で移動できるのは基本明るいうちなので1日目は特に行動を取らなかった。

それでも大森山公園という秋田県を一望できる公園があったのでそこまで赴き、これから私たちが行くであろう日本海側の景色を眺めた。

秋田県は特産品も多い。秋田県にいるうちに秋田グルメを回収しようという話になり、1日目の夜は稲庭うどんを食べた。

稲庭うどんはうどんとそうめんの中間的なうどんで、うどんのコシとそうめんの喉越しを両立させた麺であった。暑い夏にはぴったりな味覚である。秋田県では「佐藤養助」という店が稲庭うどんの有名な店らしい。

 

2日目は鳥海山スカイラインを走るつもりだったのだが、生憎の悪天候で断念。代わりに山形県酒田市まで赴いた。

酒田はかつて港町として非常に栄えた町である。江戸時代は日本海側航路の商船の寄港地だった。今もその名残が残っており、山居倉庫群という昔の倉庫が残っている。



また意外に思うかもしれないが、酒田港はマグロの水揚げも盛んである。酒田市沖合にある飛島近辺でマグロが獲れるらしい。

2日目の昼食はマグロ丼を食べた。地物ということもあって安く販売されており、中トロ丼が890円という驚異の値段である。別に量をケチっているというわけでもなく、ご飯に比べてマグロが余るくらいである。

酒田のマグロは全く臭みがなく、食べた後も口の中に脂が残るほど脂が乗っていた。非常に上質なマグロである。

酒田市から再び秋田市街地に戻る。

秋田県といえば「きりたんぽ鍋」であろう。醤油ベースのスープに比内地鶏の鶏ガラでとった出汁を合わせた鍋。中にはきりたんぽと鶏が部位を余すことなく入っていた。

2日目までは晴れ間が見えず絶景を楽しむことにはならなかったが、3日目以降を期待した。

 

 

 

 

『旅』と『旅行』の違い

 

旅(たび)

住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。旅行。

旅行(りょこう)

家を離れて他の土地へ行くこと。旅をすること。たび。

[どちらも『大辞泉』からの引用]

 

旅と旅行。辞書的な意味は同じである。

しかし、私にはこの2つの言葉の意味に微妙なニュアンスの違いがあると思われる。

例えば、コロケーションの問題がある。

「一人旅」とはいうが「一人旅行」というと少し違和感がある。また「自転車旅」と「自転車旅行」。前者は自転車をメインに広い地域を巡っている光景が浮かぶ。しかし後者は特定のある小さな範囲をレンタルサイクルで巡っている印象を持つ。

正直、個々人の感覚の問題である。だが、日本語はそうした些細な印象を大事にする言語である。だからこそ『旅』と『旅行』の違いを明確にしたいのである。

では『旅』と『旅行』にどういう線引きをするか。私はその二者に「情」という概念を持ち込みたい。

私は『旅』に相当するものも『旅行』に相当するものもどちらもよく親しんできた。だからこそわかる感覚がある。

【住みなれたわが家に わが座布団は敷いてあっても 上機嫌にどさっと膝をつく気には ほど遠い座布団だった。 しかもそれは行くまえまでは 親しい座り場所であり 帰ったいまもいくまえと 寸分ちがわぬへやのなか、 ものの位置なのに 旅がえりのものは はじかれているような 気がさせられた。 寂しかった。】

これは幸田文「旅がへり」の一節である。昭和32年に書かれた文章であり今とは全く状況が異なるはずであるが、面白いと思ったので引用した。

私は自転車旅をよくしているが、自転車旅は非常に「情」を誘発するものである。

今、まさに私は東北を自転車旅で巡っている。自転車旅をしているとその土地の方々から励ましの声を受けたり時には差し入れを頂くこともある。ある日は海岸でのんびりしているとコンビニのおにぎりを頂いたり、ある日にはりんごを頂いたこともあった。

そして自転車で走っていると自動車よりものんびりと時間が流れる。そのぶん、その土地の景観を楽しみ浸る時間が増える。ゆっくりと走ることで見える景色もあるのだ。

そうした精神的、身体的経験が積もり重なり巡った土地には自動車で巡る『旅行』よりも思い入れが強くなることが多い。今の話でいうなら、自動車で走っていたらわざわざ「深浦」という小さな港町に目を向けることはなかっただろう。

その土地を噛みしめその土地に住む人と触れ合う。この程度の差に『旅』と『旅行』の大きな違いがあるのかもしれない。

『旅行』は手間がかからず気軽にできるため好きである。一方、『旅』は体力的にも厳しい上に準備にも手間がかかるから面倒くさい。しかし、『旅』は一つ一つの味が濃いから辞めることができない。

そしてそのような味の濃い日々を過ごしてから帰る実家のある風景はどこか違ったものに見える。旅先の土地に生きる人に物語があるように、私が住む土地に生きる人にも物語があるのではないか。そして私がいぬ間に実家にも同じように時間が流れ、お互い私が出かける前とは少し違う人になっているのではいか。そうした思いが知らぬうちに錯綜し旧知の仲であっても最初は少し距離感が掴めずにもどかしい気持ちになってしまう。

これが「旅がへり」の寂しい気持ちの正体かもしれない。

それでも『旅』は楽しい。麻薬のようにハマっていく。今後も辞められそうにない。

また行く先を決めよう。

中山道中車輪栗毛8日目

友人に別れを告げ東京までの旅路に戻る。

高崎まで来れば東京まであと一歩だ。フィールドは関東平野。「峠」という敵はいない。

深谷で一度昼飯を取った。やたらと「渋沢栄一が愛した」というフレーズが並ぶ。後々知ったが、渋沢栄一深谷出身らしい。丁度、新札の肖像画が発表された頃。渋沢栄一で町おこししようと頑張っているのだろう。彼が愛したというほうとうを食べ心を入れ替える。

埼玉は東京のベッドタウンということもあって普通の街並みがずっと並ぶ。正直、埼玉は走っていても楽しくなかった。地元である大阪を走っているのとなんら変わりがなかったからである。

そう思いながら走っているとバチがあたった。さいたま市内に入ったあたりから大雨に襲われたのである。コンビニで雨雲レーダーとにらめっこしているとどうやら私は雨雲と水分の含まない雲との境目にいたらしい。全速力で走り雨雲とおいかかけっこをしていると雨雲を切り抜けることができた。東京に入る頃にはただの曇り空に変わった。ロードバイクなら雨雲に勝てるようである。

東京からは特に物語はない。板橋、巣鴨と順調に抜け午後5時にはゴールの日本橋に到着した。

東京に行く目的はただ中山道を走る抜けるということだけではない。かつて仲良くしていたが東京に行ってしまった友人たちに会うためでもある。

目的をもって京都大学に入学したが、大学で結論を見出し大学をやめた子。その子は今、東京で将来の夢に向けて頑張っていた。

彼が会ってすぐに放った言葉は「きったな!ホームレスより汚いで!」。しばらく彼とは会っていなかったが、いかにも彼らしい迎え方である。歌舞伎町の居酒屋で京都にいた頃の思い出話や彼の近況で話を咲かせた。

浪人して東京大学を目指していたが、残念ながら不合格となり早稲田大学に入学した子。その子は早稲田大学の学生として学生生活を楽しんでいた。

「いや俺さぁ、今浮気してるんやけどさ。」

浪人の頃から危ない予感はしていたが、東京でしっかりと「彼らしさ」を発揮していたようである。浮気は頂けないが、ある意味で安心もした。

次の日の新幹線で京都まで戻った。

京都から東京まで1週間かけて辿り東京から京都までは2時間半。煙草を燻らしながら車窓を眺め1週間わずかの旅の思い出に耽った。

さて残金500円。給料日まであと15日ほどあるがいかにして過ごそうか。

 

中山道中車輪栗毛7日間。

総走行距離558.7km/5337mのアップ。

中山道中車輪栗毛7日目

この日は1度自転車を置いた。

昨日、再会を果たした高校の頃の友人と群馬県を案内してもらったのだ。

栃木県の名所は多くは浮かばないが、浮かぶには浮かぶ。日光、華厳の滝那須高原…。

しかし、群馬県も負けず劣らず自然に溢れた風光明媚な場所があることを思い知らされた。

最初に訪れたのは榛名山

自転車乗りなら一度は聞いたことがあると思う。ヒルクライムの聖地だ。実際、榛名山に行くとヒルクライムの苦労に値する景色が広がっていた。

奥に見える山稜が美しく魂が抜ける。この写真に写ってはいないが、左側の山は雪化粧をしていた。山桜と雪が織りなすコントラストの世界はやはり美しいものだ。

榛名山から車でしばらく下ると伊香保に着く。

伊香保は温泉で有名だが、近くには伊香保グリーン牧場がありこの牧場が結構面白い。

あまり牧場に行った経験がなかったため、ありとあらゆることが新鮮だった。

牧場にいる動物は可愛いもので中にはおっさんのような動物もいたが、それでも動物だから許せてしまう。

羊はみんな「メェ〜」と鳴くものだと思っていたが、鳴き方にもそれぞれ個性がある。

鳴き方のイデアのごとき鳴き方をする羊ももちろん存在するが、「めぇー」と棒読みする羊もいて羊の鳴き方の観察をするだけでも時間が溶けてしまう。

伊香保に行ったからには温泉にもよる。

やはりゴールデンウィークのど真ん中ということもあってか伊香保温泉の人口密度は凄まじいものだった。車を停めようとしても駐車場がない。結局、温泉に入るのは諦め足湯で体験させていただいたが、それでも今まで脚を酷使してきたことを考えればありがたいものだ。

温泉街独特の雰囲気はわくわくする。伊香保温泉も人をわくわくさせる力を持つ温泉だが、人が多すぎるとやはり風情が薄れてしまう。

次は人が少ないときに訪れたいものである。