頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

オールドメディアを大事にしよう

前回の記事で、Twitterの勘違い人間をボロクソにけなした。確かに有意義な話も多いが、Twitterを始めウェブメディアだけで情報を得てもロクなことにならない。近頃よくネットで見かける言説として「もう新聞、テレビの時代は終わった。ネットメディアだけが正しい」といわれることさえある。私からすれば、自らの無知、世間の知らなさを露呈する馬鹿げた言説にしか見えない。

 

 

そもそも、ネットメディアが何の情報から意見を発展させているか、わかっているのか、と言いたい。世に出回る事件、事故の報道は、すべて新聞社の独自取材で明らかになる。昨年の秋に、関西電力の幹部が高浜町の重役から金銭授受をしていたニュースが流れたと思うが、そのニュースも共同通信が関係者に対する取材で明らかになった。世に出回っていない不正を関係者に対して調査して明らかにする報道を、「調査報道」というのだが、今のメディアで調査報道を担えるのは新聞社しかない。

いわば、現代社会において新聞から得られる情報が一次情報なのである。

ネットメディアは、新聞社が得た一次情報に対して、様々な味付けをすることしかできない。独自の観点から意見を加えたり、推測でものを語ったりするにすぎない。

ネットメディアに調査報道はできないのか、という疑問も持つことだろう。答えは、「難しい」だ。そもそも調査報道は、世の中からの信頼がなければできない。新聞社は、今でさえ批判も多いが、それでも確固たる権威を持つ。「この人になら私の持つ情報を話してもいいな」。そう思わせることができるから、関係者への取材は可能になるのである。さらに、取材に応じない人に対して心を開かせる技術も新聞社にはあるし、動員できる人員の数も桁違いだ。調査報道は、非常に労力を要するものでテクニックの必要なものなのである。調査報道に必要な技術と信頼は、長年ノウハウを築き上げてきた新聞社にしかない。ネットメディアにできることは、たかが知れているのである。

 

だから、オールドメディアの時代は終わった、とは言わないでほしい。それどころか、オールドメディアにしかできないことの方が多い。ネットメディアができることといえば、各々が考える指針を与えてくれるだけだ。ネットメディアは、いわば加工産業なのである。新聞が一次情報だから、新聞を読めば、ネットメディアに書かれなかった事件の側面だって載っている。ネットメディアは、自らの主張したい意見を述べるのに必要な材料しか載っていない。「自分の知りたくなかった情報」まで知ることができるのが新聞なのだ。「良薬は口に苦し」ということわざがあるくらいで、耳が痛い情報は、意見を練り上げるよき材料となる。

情報の精度も新聞の方が高い。信頼を売りにしているだけに、フェイクニュースにはとても敏感だ。新聞社の誤報がとても大きく取り上げられるのは、新聞社の世間に対する影響力ももちろん要因であるのだが、「新聞社がまさか誤報をするなんて」という心理も寄与しているだろう。

 

だから、みんな、オールドメディアを大事にしような。

ネットメディアだけに頼ると痛い目にあうぞ。

 

〈参考に〉

Yahoo!ニュース、スマートニュースは新聞からの情報を手軽にアクセスできるものとして人気を博している。必要だと思われる情報を集め、配信するメディアをキュレーションメディアというのだが、キュレーションメディアにも注意を払うべきだ。

 

キュレーションメディアでは、アクセスの多さが非常に重視される。読まれる可能性が高い記事しか配信しない。だから、AIや編集者が独自に人気の高そうな記事だけを配信している。非常に恣意的なものだ。キュレーションメディアを見ただけでは、多様な意見を知ることは難しい。キュレーションメディアも参考にするのはいいが、キュレーションメディアを見ただけでニュースを全部知った気になるのはとても危険である。