頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

ツイッターの勘違い人間たち

SNSは使い方さえ間違えなければ、時間つぶしにちょうどいい。Instagramのストーリーで友人や有名人たちの日常を覗いてみるのもよし。Twitterで下らないことを笑うのもよし。友人とメッセージのやり取りをするのもいいだろう。

 

InstagramTwitterは上手に棲み分けがなされている。写真を通じたコミュニケーションを取るならInstagramであるし、文章でやり取りをするならTwitterだ。意見の表明をツイッター上で行う人も多い。だから、Twitterでは活発な議論が起きやすい。近頃は、新型コロナウイルスの影響で、政治に興味を持つ人が増えた。以前にも増して、疫病対策を巡る政府の方針に対する議論が行われている。

 

政治に関心のある人が増えたことは、喜ばしいことである。活発な議論によって、私たち国民が主権者として、今まで以上によい選択を行えるようになるかもしれない。政府の政策にも、ダメなものにはダメというべきだ。国民に一律10万円を給付する話も、国民が各々の生活の窮状を訴えたから実現したことなのかもしれない。そうした私たちの世論を大きく左右する要因の中に、SNSは間違いなく入っている。

 

だが、私は今のTwitterの使われ方を非常に憂慮している。

Twitterの恐ろしいこと。それは、ユーザーの多くが「自分にとって心地のいい情報しか入らないことを知らない」ということである。

アメリカの憲法学者キャス・サンスティーンが提唱した「サイバーカスケード」という概念がある。確かにネットは、様々な情報が流れている。私たちネットユーザーは、インターネットを使えばほとんどの情報を入手できると信じて疑わない。しかし、インターネットで情報を調べるときに注意しないといけないことは、「検索するという行為が能動的なもの」ということだ。ネットでアクセスする情報は、勝手に耳に入ってくるのではなく、「自分が気になるから」調べる。そのため、ネットだけで情報を得ていると、徐々に情報が偏ってくるのだ。

例えば、私が政府の疫病対策に対して批判的な意見を持っているとしよう。すると、私は、自分の意見が本当に正しいのかを知りたくなり、政府の対策に対して批判的な意見を調べる。すると、批判的な意見ばかりが検索結果に出てくる。もちろん、自分が批判的な意見を調べたいから、同じような意見しか出てこないのだが、みんなはそれを知らない。徐々に「みんなが同じことを思っているから自分が正しいんだ!」という考えを形成するようになる。こうなると、もう歯止めがかからない。反対意見が出てきても、「いや、みんなが同じことを思っているから」と、自分の意見を疑わなくなる。

このように、今のネット社会では、意見の集団極性化が起きやすい。このことをサイバーカスケードというのである。意見が偏れば、間違った情報を妄信してしまうし、議論も起きなくなり何の発展もなくなる。

 

そしてさらに、ネット社会の怖い点は、「自分も情報発信者の一人」ということを自覚していない点である。Twitterリツイート欄で以下の画像がよく出回らなかっただろうか。

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この情報は、外国人から「間違っている」という指摘があり、最終的にフェイクニュースということになった。

新聞社やテレビ局が誤った情報を流せば、多くの人が叩く。しかし、自分が誤った情報を流しても、「間違ってたんだ~」と受け流す。私は言いたい。間違った情報を流したのなら、責任を持て!と。

 

以前、こうしたニュースがTwitter上で流れた。

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SNSで情報発信する人の一部は、自らの思想信条に説得力を持たせるために、嘘の情報や誇張された情報を意図的に流す可能性も考慮しなければならない。
このツイートもその好例だ。確かに「不登校」という現象の原因が、学校教育にあるとは書いている。でも、「学校システム」という語でまとめると、物事の本質を取り違えた議論になりかねない。 
BBCが主張しているのは、髪の黒染め、制服着用といった個性を埋没させる校則が不登校の原因を作っているということ。そして、学校からドロップアウトをした人の受け皿として、近頃は「フリースクール」も日本で広がっている、という話もあった。
ツイートの投稿者が、「学校システム」という話で一括にするから、ツイッターには「教員不足」、「働き方改革」といった論旨に外れた議論をする人が少なくはなかった。

このツイートから現在の日本社会が抱える情報に関する問題が複数点浮かび上がってる。
1.フェイクニュースを流す人の存在
2.フェイクニュースを見抜ける人がいない
 PISAの学力テストで日本の小学生のデジタル読解力が先進諸国の中で著しく悪かった。「デジタル読解力」は、デジタル媒体から正確な情報を得るというもの。大人がいとも簡単にデジタルにあふれるニュースに踊らされているのだから、子供にそうした能力がみにつくはずもない。正直、どのようにしてデジタル媒体を使いこなす能力を身につける教育を施していくのか、見当もつかない。「グローバル化」社会に積極的に飲み込まれようとしてる今の日本が抱える知名的な問題の一つのように思える。
3.議論をしない
 このツイートに限らず、あらゆるニュースサイトのコメント欄を見ていて、一種の気持ち悪さを感じる。とある問題に対して、その問題に賛否両論あって然るべきなのに、一つの考え方に賛同する声だけが集まる。その考え方が宗教のような覆しようのない正当性を纏ってネット社会に立ちはだかる。そして、その考え方に賛同するものの結束が高まって、ますます自分の思想信条を当人の中で強化していくというサイクルが出来ているように思うのである。
 いつまでたっても自分にとって心地のいい考え方を持つ集団で安住していても、何ら生産的なものは生まれない。自分とは真っ向から対立する考えも参照し、それぞれの現実的妥協点を見いださなければ解決に至る姿勢にはならない。

 

Twitterの勘違い人間に対する愚痴はまだまだ出てくるが、愚痴を言いすぎてもなんら生産的なことはない。愚痴はここまでにして、次は生産的な話をしよう。