頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

イタリア・スペイン周遊旅行記~ローマ編①~

新型コロナウイルスの影響により、今、海外旅行をするハードルが一気に高まった。今年も、お金をためてヨーロッパやアジア諸国に足を運ぶ予定だったのに、出ばなをくじかれた気分だ。大学在学中に、海外旅行はおろか国内旅行でさえも出来ないだろう。

 

今回は、昨年の冬に訪れたイタリアとスペインの旅行記を綴りたい。

 

2019年の2月。満を持して関西国際空港に向かう。航空券を手に入れ、保安検査も終えた。さぁ、搭乗口へ向かおう。その時である。

パスポートがない!!

自分でもどうしてかわからない。保安検査を行う前は確かにあった。というか、保安検査場のカゴに入れておいたはずである。

約30分の間、パスポートをずっと探すも見つからない。空港職員や検査官にお願いしてパスポートを探した。迷惑なお騒がせ人である。しまいには、「パスポートなしでも現地で再発行とかできないですか?」とわけのわからないことを抜かしていたほどだ。「できないです…」当たり前の返事が返ったきた。空港の職員が焦りに追い打ちをかける。

キャプテンは、出発を待たないと言っています!

当然の話だ。飛行機遅延の責任は、私では背負いきれない。

もう飛行機が離陸する10分前には、初のヨーロッパをいさぎよく諦める決意をした。同行していた友人たちに、「俺の分まで楽しんで。迷惑をかけてごめん。」と何度もお願いした。

「まだバイト入れるかなぁ。目の前でヨーロッパが消え去るなんて、やっぱりヨーロッパなんて自分にとっては存在しないものなのかなぁ」

と考えたりもしたものだ。

離陸する3分前。

パスポート見つかりました!

空港職員が息を切らしながら駆け寄った。どうやら、保安検査場の荷物置き場と検査機械の狭間にあったらしい。私のミスなのか、空港側のミスなのか。今でもヨーロッパの思い出話を友人とする際には、議論になる。

安心も束の間。

「もう時間がありません!今なら間に合うかもしれません!走りましょう!」

と職員が金切り声で叫んだ。私は茫然自失としていた。「そうか、もう〈かもしれない〉なんだ。」

無我夢中で走った。クリスマスに放映される永年の名作、ホームアローンで空港を走るシーンがあるが、そのシーンにも引けを取らない必死さだった。

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保安検査場から搭乗口までは徒歩で10分ほどの距離がある。もう離陸まで3分を切っていた。走っても間に合わない時間だ。空港職員は、走りながら必死にキャプテンに「もうすぐ着きます」と連絡をとっていた。その時の空港職員は、見るに堪えない悲しそうな表情をしていた。他人事なのに今にも泣き崩れそうな顔をしていた。絶望的な状況だったのだろう。

搭乗口につくと、キャビンアテンダント総出でお迎え。

「間に合いますよ!頑張りましょう!」

飛行機の席についたとき、時間を確認すると、離陸予定時刻から5分ほど過ぎていた。キャプテンは待たないと言いながらも、待っていてくれたのである。

座席に着き、友人と言葉を交わそうとするも口数は少なかった。喋りかけてはいけない雰囲気を感じ取り、機内の中でむやみに話しかけるのはやめにした。

 

2時間半ほどの快適なフライトを終え、22時半に北京空港に到着。そこから、ローマのフィウミチーノ空港行きの飛行機に乗り換える。

スカイスキャナーで最も安い往復7万6000円の航空券を取ったため、余分なトランジットがある。北京空港で一夜を過ごさなければならなかった。北京の緯度は北海道の札幌よりも高い。気温約2度。空港の建物内とはいえ、それでも寒い。最低限の暖房しか効いていない。節約のため、ホテルを取らなかったのは大きなミスだった。

眠れないのである。

30分だけベンチに横になっては別のベンチを探して、という行動を何十回も繰り返した。北京空港の夜ほど、過ぎる時間が遅かった夜は、今の時点でもない。明るくなってきたときは、太陽に感謝した。天照大神はやはり偉大だ。

正午過ぎになり、ようやくイタリア行きの飛行機に搭乗できた。今度は12時間ほどのフライト。中国国際航空という航空会社を利用したため、客層は主に中国人。日本と中国ではマナーが違うとはいえ、看過できないものも多かった。

私の前に着席した小太りの客は、座席が窮屈なのであろう、少しずつ席を倒してくる。私は、お互いの確認もとらずに座席を倒してくる人が大嫌いだ。腹が立ってきたので仕返ししてやろうと計画した。

相手が座席を倒してくるタイミングを見計らう。本当に小刻みに倒してくるため、じっくりと観察する。

「今だ!」

相手が座席をゆっくりと倒し始めたタイミングで、私が持つすべての力を使って、座席を押し返した。前の客が飛び跳ねた。私を見てきたので、不遜な態度をとり、日本語の雑誌で顔を隠した。相手も私が日本人であることを察知すると、もう座席を倒してこなくなった。そのかわり、30分毎に座席を立ったり座ったりしている。快適な空の旅をしたければ、ビジネスクラスかファーストクラスを取ればいいのである。エコノミークラスで快適な施しを受けようとする計算は甘い。

中国国際航空は、安い代わりに日本人とは相容れない中国人のマナーと格闘する必要がある。ネットで書かれているほどサービスは悪くはなく、むしろ快適だ。機内食も美味しくいただいた。ただ、中国人のマナーが気になる。

 

そうこうしているうちに夕方ごろ、ローマに到着。早速、空港から出る電車に乗り、ローマのテルミニ駅へ移動した。

電車から降りると、目の前にはイタリアが広がっていた。レンガ造りの建物が並び、道路は石畳。ヨーロッパは、本当にヨーロッパだった。何度も頬をつねる。何度も痛みを感じる。夢ではなく、私は確かにヨーロッパにいたのだ。

宿に向かい、荷物を置いて夜ご飯を食べに行く。

イタリアといえば、まずはピザとパスタだ。

お店に入ると、とても気さくな店主が迎えてくれた。

オーナーらしき人が、黒人の店員を指さして、何度も「ピッコロ!ピッコロ!」という。今思えば、相当差別的だが、日本人を歓迎しようとしてくれる心遣いに胸を打たれる。

ローマのピザは生地が薄く、少しカリカリしている。味もしつこくなく、生地もほどよくもちもちしている。やはり、本場で味わうピザは美味しい。日本の宅配ピザで出回っているものの多くは、アメリカンピザらしく、アメリカンピザよりも好みだった。重くなく、何枚でも食べれそうだ。

この写真はカルボナーラ。イタリアのカルボナーラは、日本のカルボナーラと違って生クリームをおそらく入れていない。チーズの酸味とほどよい塩加減で構成されるシンプルな味だ。

料理を食べ終えると、「ボーノ?」と尋ねてくれる。「ボーノ!」と返すと、満足そうにイタリア語で何かを言って見送ってくれた。

 

イタリア2日目から本格的な観光が始まった。

一重にローマといってもとても広い。4日ほどかけて周る。テルミニ駅で「ローマパス」を入手し、早速地下鉄で観光地へ向かう。

まずは、フォロロマーノだ。世界史に疎いため、どんな場所かは知らないが、私の想像するヨーロッパの景色が広がる。

フォロロマーノからコロッセオまで歩いてすぐ。コロッセオは、世界史に疎い私でもわかる。何度も「本物!本物!」と叫びながらコロッセオへと入場した。美しいというより、本物を見ている興奮が冷めやまない。古代からこれほど大きな闘技場を作ったかつてのローマ人に敬意を払った。コロッセオができた当時に日本は、まだ高床倉庫を建てて地道に農業をしている時代。とても同じ時代にできたものとは思えない。

コロッセオを後にして、すぐ近くにあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂へ行った。ローマのがっかり観光スポットとして有名らしく、地元民からも「タイプライター」、「入れ歯」とボロクソに言われているらしい。確かに、今までフォロロマーノコロッセオと来ていたので、正直、感動は薄かった。

最後にイタリアの街並みによくいるウミネコ。イタリアではそこら中いる。

 

次回に続く。