頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

イタリア・スペイン周遊旅行記~ローマ編①~

新型コロナウイルスの影響により、今、海外旅行をするハードルが一気に高まった。今年も、お金をためてヨーロッパやアジア諸国に足を運ぶ予定だったのに、出ばなをくじかれた気分だ。大学在学中に、海外旅行はおろか国内旅行でさえも出来ないだろう。

 

今回は、昨年の冬に訪れたイタリアとスペインの旅行記を綴りたい。

 

2019年の2月。満を持して関西国際空港に向かう。航空券を手に入れ、保安検査も終えた。さぁ、搭乗口へ向かおう。その時である。

パスポートがない!!

自分でもどうしてかわからない。保安検査を行う前は確かにあった。というか、保安検査場のカゴに入れておいたはずである。

約30分の間、パスポートをずっと探すも見つからない。空港職員や検査官にお願いしてパスポートを探した。迷惑なお騒がせ人である。しまいには、「パスポートなしでも現地で再発行とかできないですか?」とわけのわからないことを抜かしていたほどだ。「できないです…」当たり前の返事が返ったきた。空港の職員が焦りに追い打ちをかける。

キャプテンは、出発を待たないと言っています!

当然の話だ。飛行機遅延の責任は、私では背負いきれない。

もう飛行機が離陸する10分前には、初のヨーロッパをいさぎよく諦める決意をした。同行していた友人たちに、「俺の分まで楽しんで。迷惑をかけてごめん。」と何度もお願いした。

「まだバイト入れるかなぁ。目の前でヨーロッパが消え去るなんて、やっぱりヨーロッパなんて自分にとっては存在しないものなのかなぁ」

と考えたりもしたものだ。

離陸する3分前。

パスポート見つかりました!

空港職員が息を切らしながら駆け寄った。どうやら、保安検査場の荷物置き場と検査機械の狭間にあったらしい。私のミスなのか、空港側のミスなのか。今でもヨーロッパの思い出話を友人とする際には、議論になる。

安心も束の間。

「もう時間がありません!今なら間に合うかもしれません!走りましょう!」

と職員が金切り声で叫んだ。私は茫然自失としていた。「そうか、もう〈かもしれない〉なんだ。」

無我夢中で走った。クリスマスに放映される永年の名作、ホームアローンで空港を走るシーンがあるが、そのシーンにも引けを取らない必死さだった。

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保安検査場から搭乗口までは徒歩で10分ほどの距離がある。もう離陸まで3分を切っていた。走っても間に合わない時間だ。空港職員は、走りながら必死にキャプテンに「もうすぐ着きます」と連絡をとっていた。その時の空港職員は、見るに堪えない悲しそうな表情をしていた。他人事なのに今にも泣き崩れそうな顔をしていた。絶望的な状況だったのだろう。

搭乗口につくと、キャビンアテンダント総出でお迎え。

「間に合いますよ!頑張りましょう!」

飛行機の席についたとき、時間を確認すると、離陸予定時刻から5分ほど過ぎていた。キャプテンは待たないと言いながらも、待っていてくれたのである。

座席に着き、友人と言葉を交わそうとするも口数は少なかった。喋りかけてはいけない雰囲気を感じ取り、機内の中でむやみに話しかけるのはやめにした。

 

2時間半ほどの快適なフライトを終え、22時半に北京空港に到着。そこから、ローマのフィウミチーノ空港行きの飛行機に乗り換える。

スカイスキャナーで最も安い往復7万6000円の航空券を取ったため、余分なトランジットがある。北京空港で一夜を過ごさなければならなかった。北京の緯度は北海道の札幌よりも高い。気温約2度。空港の建物内とはいえ、それでも寒い。最低限の暖房しか効いていない。節約のため、ホテルを取らなかったのは大きなミスだった。

眠れないのである。

30分だけベンチに横になっては別のベンチを探して、という行動を何十回も繰り返した。北京空港の夜ほど、過ぎる時間が遅かった夜は、今の時点でもない。明るくなってきたときは、太陽に感謝した。天照大神はやはり偉大だ。

正午過ぎになり、ようやくイタリア行きの飛行機に搭乗できた。今度は12時間ほどのフライト。中国国際航空という航空会社を利用したため、客層は主に中国人。日本と中国ではマナーが違うとはいえ、看過できないものも多かった。

私の前に着席した小太りの客は、座席が窮屈なのであろう、少しずつ席を倒してくる。私は、お互いの確認もとらずに座席を倒してくる人が大嫌いだ。腹が立ってきたので仕返ししてやろうと計画した。

相手が座席を倒してくるタイミングを見計らう。本当に小刻みに倒してくるため、じっくりと観察する。

「今だ!」

相手が座席をゆっくりと倒し始めたタイミングで、私が持つすべての力を使って、座席を押し返した。前の客が飛び跳ねた。私を見てきたので、不遜な態度をとり、日本語の雑誌で顔を隠した。相手も私が日本人であることを察知すると、もう座席を倒してこなくなった。そのかわり、30分毎に座席を立ったり座ったりしている。快適な空の旅をしたければ、ビジネスクラスかファーストクラスを取ればいいのである。エコノミークラスで快適な施しを受けようとする計算は甘い。

中国国際航空は、安い代わりに日本人とは相容れない中国人のマナーと格闘する必要がある。ネットで書かれているほどサービスは悪くはなく、むしろ快適だ。機内食も美味しくいただいた。ただ、中国人のマナーが気になる。

 

そうこうしているうちに夕方ごろ、ローマに到着。早速、空港から出る電車に乗り、ローマのテルミニ駅へ移動した。

電車から降りると、目の前にはイタリアが広がっていた。レンガ造りの建物が並び、道路は石畳。ヨーロッパは、本当にヨーロッパだった。何度も頬をつねる。何度も痛みを感じる。夢ではなく、私は確かにヨーロッパにいたのだ。

宿に向かい、荷物を置いて夜ご飯を食べに行く。

イタリアといえば、まずはピザとパスタだ。

お店に入ると、とても気さくな店主が迎えてくれた。

オーナーらしき人が、黒人の店員を指さして、何度も「ピッコロ!ピッコロ!」という。今思えば、相当差別的だが、日本人を歓迎しようとしてくれる心遣いに胸を打たれる。

ローマのピザは生地が薄く、少しカリカリしている。味もしつこくなく、生地もほどよくもちもちしている。やはり、本場で味わうピザは美味しい。日本の宅配ピザで出回っているものの多くは、アメリカンピザらしく、アメリカンピザよりも好みだった。重くなく、何枚でも食べれそうだ。

この写真はカルボナーラ。イタリアのカルボナーラは、日本のカルボナーラと違って生クリームをおそらく入れていない。チーズの酸味とほどよい塩加減で構成されるシンプルな味だ。

料理を食べ終えると、「ボーノ?」と尋ねてくれる。「ボーノ!」と返すと、満足そうにイタリア語で何かを言って見送ってくれた。

 

イタリア2日目から本格的な観光が始まった。

一重にローマといってもとても広い。4日ほどかけて周る。テルミニ駅で「ローマパス」を入手し、早速地下鉄で観光地へ向かう。

まずは、フォロロマーノだ。世界史に疎いため、どんな場所かは知らないが、私の想像するヨーロッパの景色が広がる。

フォロロマーノからコロッセオまで歩いてすぐ。コロッセオは、世界史に疎い私でもわかる。何度も「本物!本物!」と叫びながらコロッセオへと入場した。美しいというより、本物を見ている興奮が冷めやまない。古代からこれほど大きな闘技場を作ったかつてのローマ人に敬意を払った。コロッセオができた当時に日本は、まだ高床倉庫を建てて地道に農業をしている時代。とても同じ時代にできたものとは思えない。

コロッセオを後にして、すぐ近くにあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂へ行った。ローマのがっかり観光スポットとして有名らしく、地元民からも「タイプライター」、「入れ歯」とボロクソに言われているらしい。確かに、今までフォロロマーノコロッセオと来ていたので、正直、感動は薄かった。

最後にイタリアの街並みによくいるウミネコ。イタリアではそこら中いる。

 

次回に続く。

オールドメディアを大事にしよう

前回の記事で、Twitterの勘違い人間をボロクソにけなした。確かに有意義な話も多いが、Twitterを始めウェブメディアだけで情報を得てもロクなことにならない。近頃よくネットで見かける言説として「もう新聞、テレビの時代は終わった。ネットメディアだけが正しい」といわれることさえある。私からすれば、自らの無知、世間の知らなさを露呈する馬鹿げた言説にしか見えない。

 

 

そもそも、ネットメディアが何の情報から意見を発展させているか、わかっているのか、と言いたい。世に出回る事件、事故の報道は、すべて新聞社の独自取材で明らかになる。昨年の秋に、関西電力の幹部が高浜町の重役から金銭授受をしていたニュースが流れたと思うが、そのニュースも共同通信が関係者に対する取材で明らかになった。世に出回っていない不正を関係者に対して調査して明らかにする報道を、「調査報道」というのだが、今のメディアで調査報道を担えるのは新聞社しかない。

いわば、現代社会において新聞から得られる情報が一次情報なのである。

ネットメディアは、新聞社が得た一次情報に対して、様々な味付けをすることしかできない。独自の観点から意見を加えたり、推測でものを語ったりするにすぎない。

ネットメディアに調査報道はできないのか、という疑問も持つことだろう。答えは、「難しい」だ。そもそも調査報道は、世の中からの信頼がなければできない。新聞社は、今でさえ批判も多いが、それでも確固たる権威を持つ。「この人になら私の持つ情報を話してもいいな」。そう思わせることができるから、関係者への取材は可能になるのである。さらに、取材に応じない人に対して心を開かせる技術も新聞社にはあるし、動員できる人員の数も桁違いだ。調査報道は、非常に労力を要するものでテクニックの必要なものなのである。調査報道に必要な技術と信頼は、長年ノウハウを築き上げてきた新聞社にしかない。ネットメディアにできることは、たかが知れているのである。

 

だから、オールドメディアの時代は終わった、とは言わないでほしい。それどころか、オールドメディアにしかできないことの方が多い。ネットメディアができることといえば、各々が考える指針を与えてくれるだけだ。ネットメディアは、いわば加工産業なのである。新聞が一次情報だから、新聞を読めば、ネットメディアに書かれなかった事件の側面だって載っている。ネットメディアは、自らの主張したい意見を述べるのに必要な材料しか載っていない。「自分の知りたくなかった情報」まで知ることができるのが新聞なのだ。「良薬は口に苦し」ということわざがあるくらいで、耳が痛い情報は、意見を練り上げるよき材料となる。

情報の精度も新聞の方が高い。信頼を売りにしているだけに、フェイクニュースにはとても敏感だ。新聞社の誤報がとても大きく取り上げられるのは、新聞社の世間に対する影響力ももちろん要因であるのだが、「新聞社がまさか誤報をするなんて」という心理も寄与しているだろう。

 

だから、みんな、オールドメディアを大事にしような。

ネットメディアだけに頼ると痛い目にあうぞ。

 

〈参考に〉

Yahoo!ニュース、スマートニュースは新聞からの情報を手軽にアクセスできるものとして人気を博している。必要だと思われる情報を集め、配信するメディアをキュレーションメディアというのだが、キュレーションメディアにも注意を払うべきだ。

 

キュレーションメディアでは、アクセスの多さが非常に重視される。読まれる可能性が高い記事しか配信しない。だから、AIや編集者が独自に人気の高そうな記事だけを配信している。非常に恣意的なものだ。キュレーションメディアを見ただけでは、多様な意見を知ることは難しい。キュレーションメディアも参考にするのはいいが、キュレーションメディアを見ただけでニュースを全部知った気になるのはとても危険である。

ツイッターの勘違い人間たち

SNSは使い方さえ間違えなければ、時間つぶしにちょうどいい。Instagramのストーリーで友人や有名人たちの日常を覗いてみるのもよし。Twitterで下らないことを笑うのもよし。友人とメッセージのやり取りをするのもいいだろう。

 

InstagramTwitterは上手に棲み分けがなされている。写真を通じたコミュニケーションを取るならInstagramであるし、文章でやり取りをするならTwitterだ。意見の表明をツイッター上で行う人も多い。だから、Twitterでは活発な議論が起きやすい。近頃は、新型コロナウイルスの影響で、政治に興味を持つ人が増えた。以前にも増して、疫病対策を巡る政府の方針に対する議論が行われている。

 

政治に関心のある人が増えたことは、喜ばしいことである。活発な議論によって、私たち国民が主権者として、今まで以上によい選択を行えるようになるかもしれない。政府の政策にも、ダメなものにはダメというべきだ。国民に一律10万円を給付する話も、国民が各々の生活の窮状を訴えたから実現したことなのかもしれない。そうした私たちの世論を大きく左右する要因の中に、SNSは間違いなく入っている。

 

だが、私は今のTwitterの使われ方を非常に憂慮している。

Twitterの恐ろしいこと。それは、ユーザーの多くが「自分にとって心地のいい情報しか入らないことを知らない」ということである。

アメリカの憲法学者キャス・サンスティーンが提唱した「サイバーカスケード」という概念がある。確かにネットは、様々な情報が流れている。私たちネットユーザーは、インターネットを使えばほとんどの情報を入手できると信じて疑わない。しかし、インターネットで情報を調べるときに注意しないといけないことは、「検索するという行為が能動的なもの」ということだ。ネットでアクセスする情報は、勝手に耳に入ってくるのではなく、「自分が気になるから」調べる。そのため、ネットだけで情報を得ていると、徐々に情報が偏ってくるのだ。

例えば、私が政府の疫病対策に対して批判的な意見を持っているとしよう。すると、私は、自分の意見が本当に正しいのかを知りたくなり、政府の対策に対して批判的な意見を調べる。すると、批判的な意見ばかりが検索結果に出てくる。もちろん、自分が批判的な意見を調べたいから、同じような意見しか出てこないのだが、みんなはそれを知らない。徐々に「みんなが同じことを思っているから自分が正しいんだ!」という考えを形成するようになる。こうなると、もう歯止めがかからない。反対意見が出てきても、「いや、みんなが同じことを思っているから」と、自分の意見を疑わなくなる。

このように、今のネット社会では、意見の集団極性化が起きやすい。このことをサイバーカスケードというのである。意見が偏れば、間違った情報を妄信してしまうし、議論も起きなくなり何の発展もなくなる。

 

そしてさらに、ネット社会の怖い点は、「自分も情報発信者の一人」ということを自覚していない点である。Twitterリツイート欄で以下の画像がよく出回らなかっただろうか。

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この情報は、外国人から「間違っている」という指摘があり、最終的にフェイクニュースということになった。

新聞社やテレビ局が誤った情報を流せば、多くの人が叩く。しかし、自分が誤った情報を流しても、「間違ってたんだ~」と受け流す。私は言いたい。間違った情報を流したのなら、責任を持て!と。

 

以前、こうしたニュースがTwitter上で流れた。

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SNSで情報発信する人の一部は、自らの思想信条に説得力を持たせるために、嘘の情報や誇張された情報を意図的に流す可能性も考慮しなければならない。
このツイートもその好例だ。確かに「不登校」という現象の原因が、学校教育にあるとは書いている。でも、「学校システム」という語でまとめると、物事の本質を取り違えた議論になりかねない。 
BBCが主張しているのは、髪の黒染め、制服着用といった個性を埋没させる校則が不登校の原因を作っているということ。そして、学校からドロップアウトをした人の受け皿として、近頃は「フリースクール」も日本で広がっている、という話もあった。
ツイートの投稿者が、「学校システム」という話で一括にするから、ツイッターには「教員不足」、「働き方改革」といった論旨に外れた議論をする人が少なくはなかった。

このツイートから現在の日本社会が抱える情報に関する問題が複数点浮かび上がってる。
1.フェイクニュースを流す人の存在
2.フェイクニュースを見抜ける人がいない
 PISAの学力テストで日本の小学生のデジタル読解力が先進諸国の中で著しく悪かった。「デジタル読解力」は、デジタル媒体から正確な情報を得るというもの。大人がいとも簡単にデジタルにあふれるニュースに踊らされているのだから、子供にそうした能力がみにつくはずもない。正直、どのようにしてデジタル媒体を使いこなす能力を身につける教育を施していくのか、見当もつかない。「グローバル化」社会に積極的に飲み込まれようとしてる今の日本が抱える知名的な問題の一つのように思える。
3.議論をしない
 このツイートに限らず、あらゆるニュースサイトのコメント欄を見ていて、一種の気持ち悪さを感じる。とある問題に対して、その問題に賛否両論あって然るべきなのに、一つの考え方に賛同する声だけが集まる。その考え方が宗教のような覆しようのない正当性を纏ってネット社会に立ちはだかる。そして、その考え方に賛同するものの結束が高まって、ますます自分の思想信条を当人の中で強化していくというサイクルが出来ているように思うのである。
 いつまでたっても自分にとって心地のいい考え方を持つ集団で安住していても、何ら生産的なものは生まれない。自分とは真っ向から対立する考えも参照し、それぞれの現実的妥協点を見いださなければ解決に至る姿勢にはならない。

 

Twitterの勘違い人間に対する愚痴はまだまだ出てくるが、愚痴を言いすぎてもなんら生産的なことはない。愚痴はここまでにして、次は生産的な話をしよう。

就職活動を終えたい

お久しぶりです。更新をサボっているうちに、僅かながらも応援していただいた方の多くは、離れてしまったかもしれない。

 

更新をサボってしまった理由。それは単純で、就職活動が私を襲いかかってきたからだ。今年、大学4年生を迎える私は、世捨て人になる選択肢を選ぶ勇気がなかった。

 

私は、メディア業を軸に据えて就職活動を続けていたのだが、就職活動を通じて新たな気付きも多かった。読者の中には、今後就活をする人や、就活なんてとうに終えて、社会人になっている人もおられるかもしれない。そんな両者にも、有意義な情報を伝えたい。

 

今回は、特に新聞業について述べたいと思う。

新聞業は、「若者の紙離れ」もあって、購読数は右肩下がりだ。そのために、各社は工夫を凝らしてなんとか新聞業を維持しようと努力をしている。各社の特徴をまとめたい。

 

朝日新聞

業界人と世間一般の評価が最も乖離してる新聞社。世間一般的には、革新的な新聞社の筆頭という認識で、捏造記事(吉田調書、サンゴ礁問題)のせいで、特に保守派からの信頼はないに等しい。それでも購読者数は、読売新聞についで第2位。

 

しかし、業界人からは「読み応えのある面白い記事が多い」と好評。そもそも、朝日新聞社(どこの新聞社も基本そうなのだが)は、取材の方針を、各々の記者に任せている。だから、会社として記事を書いているわけではないから、会社全体を叩くのはお門違いなのである。

 

朝日新聞の強みは、やはり政治部朝日新聞の記者は、政治家と論争をよくするが、それもやはり「朝日の記者はよく勉強をしている」という信頼があってこそのもの。実際、橋下徹大阪府知事も「朝日の記者は信頼できる」と言っていたらしい(記者談)。他にも、弱者に焦点を当て、弱者から問題提言をすることも多く、社会面にも面白い記事が多い。

 

新聞記事だけではない。プロジェクトも革新的だ。新聞社の中で、最もデジタル版を手掛けたのは、日本経済新聞社だが、総合紙の中で最も早くデジタル版に力を入れ始めたのは朝日新聞朝日新聞デジタルは、総合紙の中では会員数は最も多い

 

朝日新聞社は、各新聞社の中でも待遇はかなり良い方。平均年収は約1200万。それほどの給料を支える朝日新聞社の収入源になっているのは、不動産業。大阪の中之島フェスティバルタワー、東京の有楽町マリオンなど、優良物件を数多く有している。しかし、そんな朝日新聞でも、本業の新聞が苦しい立場にいるのは確か。記者の人員を削減している。

 

読売新聞社

読売新聞は、購読者数日本1位、どころか世界でも1位の巨大な新聞社。革新的な朝日新聞社とは違って、読売新聞社は保守的な論調が多いといわれている。読んだ感じ、保守的というよりは中道。政治や事件の情報を、なんの偏見も入れずに仕入れたいと思うなら、読売新聞がふさわしい。(やはり、朝日新聞社は、革新的な論調が多く、多少なりとも意見の偏りはある。)

 

読売新聞社の強みは、社会部。最大の新聞社ということもあって、一つの事件、事故にかけることのできる人員が他社とは全く違うらしい。そのぶん、得ることのできる情報も多く、特ダネ競争は読売新聞社がリードすることが多い。さらに、「スキャナー」、「特集」、「論点スペシャル」などの欄で、一つのニュースに対して多角的な報道をおこなう。日常的に感じる疑問や、ニュースの疑問を解きほぐす記事が多く、一つの読み物として面白い。さらに、地方に割く人員も最も多い。そこらへんの地方紙よりも地方版が充実していることもよくある。

 

読売新聞は、論調だけではなく取り組みにも保守的。各社が、デジタル版に力を入れる中、読売新聞は「紙」を大事にしている。紙の購読者数が最も多いこと、各社がデジタル版をなかなか収益化できていないことを踏まえた判断かと思う。ちなみに、読売新聞オンラインは、紙で購読している人のみ利用することができる。

 

読売新聞社は、平均年収を明らかにしていない。しかし、最もシェアの高い新聞社であることを踏まえると、朝日新聞社に引けを取らない給与水準であるだろう。読売新聞社は、多角的な経営に成功している。東京、大阪、西部(九州)に存在する本社、日本テレビ読売巨人軍を、グループ本社の一部として経営している。さらに、朝日新聞社と同様、不動産業も強いマロニエゲート、読売会館(有楽町にあるビックカメラの入っているビル)は、読売新聞社の不動産である。

 

日本経済新聞社

日本で最も売れている経済専門紙。ビジネスマン必携と言われている。論調は中立。経済金融をメインに扱ってきたこともあり、データを重視する傾向にあるらしい。

 

日経新聞の強みは、いうまでもなく経済、金融。経済や金融のニュースを報じるために分析班なども設ける手厚さぶり。さらに、連載企画であった「データの世紀」は新聞協会賞を受賞するほどの企画。AIが今後私たちの生活に与えうる可能性を報じた。AIが生活の細部に関わりうること、それが本当に望むべき未来なのかということを考える契機になった。そういう意味では、とても面白い記事だった。

 

日経新聞は、かなり革新的だと思う。五大紙(読売新聞、朝日新聞日経新聞毎日新聞産経新聞)に先駆けてデジタル版である「日経電子版」を開発。最も購読者数は多い。さらに、「アジアの経済ニュースを発信する拠点になる」と息巻いており、イギリスのこれまた大手経済紙「フィナンシャル・タイムズ」を買収した。

 

日経新聞の平均年収も高い。確か、朝日新聞、読売新聞と同等だったと思う。日経新聞は、デジタル版の収益化に成功した数少ない新聞社である。そのぶん、余裕があるのだろう。

 

共同通信社

実は、共同通信社も新聞の発行にかなり携わっている。共同通信社は、地方新聞に記事を出している会社。地方新聞は、拠点とする地方に記者を抱えるが、自社のある地方以外には人を配置しない。そのため、全国ニュースを仕入れることができないのだ。そこを補うのが共同通信社地方新聞の紙面の7割を埋めているのが共同通信社の記事であることも多く、地方新聞の1面の方針も共同通信社が決めている。そのため、地方新聞の1面を比較した際に、ほとんど構成、記事が同じこともよくある。共同通信社は、地方新聞にとってなくてはならない存在だ。共同通信社が潰れると、地方新聞は潰れる。

 

共同通信社は、地方新聞に、全国ニュースを届けるという仕事柄、地方のニュースを全国の人が読んだときに面白いと思うか、という独特な視点が求められる。要するに、他の地方の人が読んだときに、そのニュースを応用できるかどうかだ。そのため、記事に方針はない自由な取材共同通信社の売りだ。極端なことをいえば、事件が起きなければ、サボってもいい。他社と違って「紙面を埋める必要性がない」からだ。

 

さらに海外への発信も強み。海外の人が日本のニュースを受け取るときは、共同通信社のニュースであることが多い。ロイター通信、AFP通信、新華社通信とならぶ世界でも屈指の通信社である。

 

共同通信社は、「一般社団法人」であるため、自由な経済活動は許されていない。しかし、そのぶん、共同通信社の記事を受け取る地方新聞や、NHKをはじめとする「加盟社」が、共同通信社に一定の金額を納めている。そのため、収益は常に一定数確保している

 

毎日新聞社

かつては読売新聞、朝日新聞としのぎを削った新聞社。論調は革新寄り

 

毎日新聞社は、新聞協会賞を最多受賞した経歴を誇っている。実際、業界人からも毎日新聞の評価は高いようだ。名物コーナーになった「記者の目」。これは、社の論調にとらわれず、現場の記者が思った意見を述べるというもの。読者の好評企画となった。

 

しかし、毎日新聞社は非常に大きな問題を抱えている。それは、金銭的な余裕がないということだ。上記の3社は、経営基盤も安定している。一方で、毎日新聞社は、借金を多く抱えている。給与水準も、上記4社とは全く違う。地方の人員も不足しており、地方記者は疲弊しているそうだ。今のままでは、毎日新聞社が、東京、大阪を拠点にした地方新聞になってしまう可能性は高い

 

体力がなくなってきたので、ここで終えたい。産経新聞毎日新聞とよく似た状況にある。今後、五大紙とは言われず、三大紙(読売新聞、朝日新聞日経新聞)になってしまう未来は近いだろう。

武奈ヶ岳スノーハイク

大阪と京都を行き来する日々の私には、雪は縁のないものである。少年時代には、少しの積雪でも興奮して雪遊びに励んでいたものである。

しかし、京都と滋賀の県境、つまり比良山系に雪が積もり樹氷さえも見れることを知った。雪に対して憧憬の念を持つ私には行く以外の選択肢はなかった。以下の文は、去年の12月の出来事である。

今回登る山は、比良山系武奈ヶ岳。そんな標高の高い山ではなく1,000mほど。そんな手軽な山でも存分に雪景色が楽しめるのだから楽しみだ。

出町柳駅から麓の坊村までバスで約40分ほど。すでに坊村あたりから雪は僅かに積もっている。登山靴にアイゼンを装着し準備は万端。山に詳しい友達に先頭を率いて貰い徐々に高度を上げていく。

ある程度、標高が上がってくればすでに周りは樹氷の世界。

山頂に到着する。標高1200m。この日は天気がそんなによくなく周りを雪が吹きすさぶ。山頂で昼食なのだが、寒すぎて食べ物を食べる気力が起きない。確か−4℃ほどだった記憶がある。家から温かいお茶を入れてきたことが本当に助かった。身も心も温まるとはこのことをいうのである。

しかし、ご飯を食べていると徐々にあたりが開けてくる。武奈ヶ岳は、天気が良ければ琵琶湖を一望することができるのだ。

景色を堪能したらさっさと下る。そんな寒さに追われているときでもふと上を見上げれば、一面を樹氷が覆っている。こんなに雪を見たことがない私は素直に感動した。

下山していると雪が靴に入ってとても冷たい。帰宅してから靴を脱いで下に向けると両靴合わせて1リットル弱ほどの雪解け水が出てきた。それは冷たいはずである。もう「ただいま」の挨拶さえも言わず、大急ぎで風呂に向かった。この日ほど暖まる風呂はない。

あえての奄美大島

今から記述することは、2019年春のことである。

私は日本の南国へ行った。日本の南国といっても沖縄ではない。鹿児島県奄美大島である。

奄美大島へは格安航空券を使えば安く行ける。さらに沖縄と違っていいところは、人が少ないということである。まだ3月ということもあっただろうが、あまり観光客はいなかった。なのに沖縄と雰囲気はそこまで変わらない。奄美大島は超穴場スポットなのである。

 

奄美大島に降り立ちまず向かったのは、土盛海岸。まず海の色に感動する。こんな模範的な水色を見たのは初めてだった。

友達がシュノーケリングを持っていたので、貸して貰い奄美大島の海を覗いた。すると、海の中は一面のサンゴ礁。さらにそこで展開される鮮やかな熱帯魚の数々。熱帯魚がいるのは、ペットショップや水族館だけではなかったのだ。サンゴを踏まないように細心の注意を払いながら、スノーケリングを楽しんだ。

さすがに春はまだ水温が低く10分ほどで海を出た。でもそれでも満足である。

1日目は主に移動日で土盛海岸を見て奄美市街地の宿へ向かう。

2日目は奄美大島の原生林を巡るツアーが主役だった。奄美大島には金作原原生林という原生林が存在している。金作原原生林は南国というよりもはや熱帯雨林のようであった。といっても熱帯雨林を見たことはないのだが。

3日目。実質的に奄美大島最終日である。

まず朝起きて向かったのは、宮古崎ササント。宮古崎ササントはリュウキュウチクという笹が大量に生えている。ここは、大河ドラマ西郷どん」のオープニングロケ地としても有名で、ひたすら笹の原っぱを走り抜けるという貴重な体験ができる。

宮古崎ササントから帰る道の途中でオーストンオオアカゲラを見つけた。オーストンオオアカゲラはキツツキの仲間でドラミングをするため、音で存在がわかる。相当珍しい鳥だ。

次に向かったのは湯湾岳である。奄美大島で1番高い山で奄美の木々と海のコントラストがまた美しい。

次は「ハートロック」である。これは名前の通り、ハートの形をした岩に海水が入ることで見ることができるもの。干潮時にしかお目にかかることはできない。

最後に奄美大島の水族館にいるウミガメを紹介しよう。奄美大島の水族館にはウミガメがいて餌やり体験ができる。飼われた動物はげんきんなものでなかなか懐かないが、30分くらいずっとウミガメに接していた。

ウミガメが水の中を泳ぐ姿は非常に優雅である。自分もあれくらい気ままに生きることができれば、それ以上に幸せなことはない。残念なことながら、私は社会にくくりつけられることがほぼ100%確約されていて叶わぬ夢である。

最後に奄美大島水族館の側にある海岸から見える夕陽を載せて終わりとする。

奄美大島は人は少ないながら、美しくいい場所である。沖縄に行きたいけど、お金がない、人が多いところに行きたくない、という人はぜひ奄美大島に行ってみてほしい。関西空港からひとっ飛びで行けるから。

私の不注意言行録


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私はつくづく不注意な人間である。最近、そういった出来事が重なり自分という人間に嫌気がさしてきた。私は自分が好きで大事にしてきたが、自分の不注意さ、管理の杜撰さにはほとほと困らされている。

他人事みたいな言い方をしているが、他人事である。21年生きてきて私の脳内にある物やお金を管理する部門には未だ踏み込むことができていない。常々、自分が不注意であることを意識して動いているにも関わらず、注意力を司る部位はその警告に見向きもしない。反社会的勢力よりもたちが悪いのが私の注意力なのである。

私の不注意さが重ねてきた犯行の数々を振り返りたい。

1位:パスポート紛失事件

これは、今年の冬に起きた出来事である。関西国際空港で手荷物検査を受けた際、カゴにパスポートを入れておいたはずだった。私の荷物が機械から出てきていつもどおり整理していた。しかし、荷物の整理が終わってもパスポートが出てこないのである。30分くらい空港の係員を総動員して探した。すると荷物を置く場所と機械の狭間にパスポートを見つけた。なんでこんな場所に…と思ったが、これは私の不注意さがなした技である。飛行機の離陸3分前に見つかり、ホーム・アローンさながらの空港ダッシュをした。

2位:友人宅鍵紛失事件

これはつい2日前に起きたことである。私はバイト終わりに泊めてもらうために友人から鍵を預かっていたが、時間がなかったためそのままバイト先へ出向いた。仕事を終え、家に帰る用のズボンに履き替え定期入れに鍵を入れておいた。友人宅に戻り鍵を出そうとするも見つからない。社員さんに連絡をして、その時一緒にいたバイト先の子と社員さんと1時間ほど探し回った。私はバイト先から友人宅まで社員さんの車で移動したため、バイト先、車、車から家までの限られた区間にしかいなかった。翌日もバイト先の倉庫で探していたが、見つかる気配がなかった。結局、友人に連絡し友人の実家にあるスペアキーを複製することになった。迷惑をかけた人の数は多数である。

3位:淡路島遅刻事件

私は淡路島のとある教育プロジェクトに協力していた。その日は重要な会議が淡路島であり、私は朝が苦手なため徹夜して備えた。徹夜は成功、電車に乗り間に合うはずだった。しかし、私が時刻表案内で見ていたのは別の区間の電車。正直、こればかりは自分でも理解できない。結果、プロジェクトメンバーに迷惑をかけた。プロジェクトは今も定期的に実行されているみたいで致命的に信用を失ったわけではないが、理解できないという点でひどい遅刻の仕方である。

4位:ウフィツィ美術館チケット紛失事件

イタリアのフィレンツェという街にウフィツィ美術館がある。ルーブル美術館とも肩を並べるほどに歴史的名画が並ぶ美術館でチケット代も高い。 チケットは友達が手配してくれ、入館予定の10分前にチケットを渡してくれた。そしていざ入ろうという時である。チケットがないのである。確かにカード入れに入れたはずなのだが…。結局、別の友達がたまたま別行動をしていてチケットが余ったから入れたものの、あと少しでウフィツィ美術館に入れないところだった。

5位:「最後の晩餐」事件

これもヨーロッパで起きた出来事である。イタリアのミラノには、かの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた歴史的大作「最後の晩餐」がある。「最後の晩餐」は予約制で予約なしではなかなか見ることができない。そこで私が予約した。ミラノに着き、ぶらぶらしている時にふと「最後の晩餐」の予約確認表を見ると、その日が予約していた日だった。時間はとうに過ぎておりなんとか入れないか係の人に聞いたが例外は認められない。結局、目の前に「最後の晩餐」があるのにも関わらずそれを見ないでミラノを出た。このとき、ローマとフィレンツェで絵を見飽きていたので誰も不満を言うことがなかったが、ヨーロッパ旅行の序盤だと袋叩きにされていた。

6位:福岡空港飛行機遅刻事件

これは去年の免許合宿の帰りである。佐賀まで免許合宿に行っていたのだが、帰りに格安航空券で大阪まで帰ることにした。博多でお土産を見ていたのだが、ふと時計と予約表を突き合わせると30分前になっていた。大急ぎで空港まで向かうも間に合わず。結局、飛行機代7000円ほど損した。友達も同様の被害を被った。「俺が悪いから俺が払う」といっても「僕が任せた責任もある」といってくれた。つくづくいい友人に恵まれた。その日以降、その友達は別の子に「あいつにスケジュール管理はさせないほうがいい」と助言しているらしい。

後日談だが、友達はこの事件をきっかけにずっと別れたいと思っていた彼女と別れることが出来たらしい。友達も7000円損したはずなのになぜか感謝されている。

7位:分割払い延滞事件

私はカメラを分割払いで買った。本来ならば口座から自動で引き落とされるはずだったのだが、口座に入金するのを忘れていて引き落としがされなかった。会社から支払うよう催促の手紙が来ていたのだが、手紙をずっと放置し続け支払わなかった。ある日、親が溜まっている手紙を不審に思い開いて見てくれた。そのときに初めて自分が延滞していることに気付いた。大急ぎで支払った。分割払いはこれからクレジットカードを新しく作るときの審査にも関わる問題で今すでに信用がマイナスベースで始まっている。

 

インパクトの大きい事件はこんなものだが、他にも日頃から何かしらやらかしている。物事の大小に関わらず不注意さが出てしまうのである。子供の頃は親が守ってくれたから表面に出ることはなかったが、今は自分で管理しなければならないことが多くなった。

友達にADHDの特徴があるから、精神科医に行ったほうがいいよ、と真面目に言われたこともあるが、性格の問題である気がしなくもない。注意しているはずなのにこうなってしまうのは、確かに病気と疑われても仕方がないことかもしれない。

もし改善の仕方を知っている方がいれば、改善法を募集したい。