頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

禁煙ファシズム

 

近年、煙草を取り巻く環境は日に日に悪くなっている。いや、非喫煙者にとっては日に日に望むべく世界になっている。これは喫煙者からしてもある意味嬉しい話だ。人に迷惑をかけて煙草を吸うのは忍びない。肺や気管支を汚して苦しんで死んでいくのは私たちだけでいいと思っている。

ところで日本と海外の喫煙事情は少し違う。日本は、吸えるところを指定していくスタイルであるのに対し、イタリアやドイツなどをはじめとするヨーロッパ諸国は吸えないところを指定し、それ以外の場所では吸えるようになっている。今年、イタリアとスペインに行ったのだが、石畳の道路のありとあらゆる隙間に吸い殻が挟まっていた。

一方で日本の煙草代は高くても550円程度だが、おおよそ海外では800円弱で徐々に金持ちの嗜好品のごとき様相を呈している。

このようにどこに行っても喫煙者は何かしら厳しい状態に置かれているのだが、近頃、そうした喫煙者に対して「行きすぎた」言説が見られるのも確かだ。

「煙草吸うやつは死ね」、「喫煙所でも煙草を吸ってほしくない」など。

確かに煙草は臭いが嫌いな人の多いことだと思う。だが、マナーを守り極力人に迷惑をかけないように吸っている喫煙者に文句を言うのはお門違いである。国や自治体が定めた法律に従っているだけである。「喫煙所の横を通るときに臭いから」というのであれば、喫煙所の横を通らなければいい。そこしか道がないわけでもあるまい。「どうして喫煙者にそこまで配慮しなければならないのか」という人もいるかもしれないが、喫煙も1つの趣味であって他人が迫害していいものでもない。「喫煙所を無くせ」ならまだわかるが、配置の悪い喫煙所に対して喫煙者に怒るのは全くもって理解できない。

喫煙者は、喫煙が体に悪いというと、お金の無駄であることは百も承知している。しかし、喫煙も1つの趣味に過ぎないということは忘れてはならない。お酒も煙草も何も変わらない。

喫煙だって悪いところばかりではない。

例えば、仕事をする中で喫煙は有効なコミュニケーションツールになりうる。上司が喫煙者なら、煙草休憩も上司と中を深める時間だ。また自分の好きな煙草を吸いながら、1日の終わりに1日起きたことを振り返る時間は至高の時間である。

私はパーラメントという煙草を吸うのであるが、パーラメントは非常に上品な味である。がつんと煙草感が来るでもなく味がきついわけでもない。すべてがマイルドなバランスとなっている。煙も臭くない。パーラメントの味には紅茶と合わせて飲むのがいい。喫茶店で紅茶を飲みながら、パーラメントを吸っているとき、幸福に満たされリラックスしている。
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煙草を見直す時が来るわけがないだろうし、これから禁煙ムードは追い打ちを掛けて来ると思うが、非喫煙者にもマナーは守ってほしいものである。煙草を吸っていないくらいで偉そうな顔できる人種は幸せ者である。それでプライドが維持できるならすればいいが、心の中で留めておいてほしい。