頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

歴史学を学ぶ

文部科学省は積極的な学問改革を進めている。

研究成果がわかりやすく何かしらの産業に応用しやすい分野に投資しそれ以外の学問分野への投資を減らす。

その方針について著名な研究者からは批判が集まり物議を醸した。ちょうど、本庶佑先生がノーベル賞を受賞した頃にそうした文部科学省の方針に関心が向き、先生は「成果の出にくい基礎研究が最も大事。」という主旨のコメントを出し多くの共感を呼んだ。

それはどんな学問でも同じである。急にコペルニクス的転回が起きるわけはなく、様々な下積みがありその末に常識破りの発見がある。東南アジアの映像からその地域の文化を分析していた先生方がおっしゃった言葉は私の胸に深く刻まれている。

「『常識を破る』というのはなにも突飛なことをするというわけではない。それはただの非常識だ。『常識』という型を知らなければ常識は破れない。」

常識を知るためには基礎研究が必要で革新的な発見は基礎研究あってこそのものである。これは京都大学の先生方全員の共通認識でありおそらく全国の研究者の思うところであろう。

 

基礎研究の話は一度おいておこう。

文部科学省がいう「無駄」を省くとき、真っ先に俎上に上がった学問分野がある。それは文学部だ。

文学部は確かに理系の学問分野と比較すれば文系諸学問の中でも特に実態がわからない。そしてお金にもならない。哲学、文学、歴史学言語学…。これらの学問は「趣味の学問」といわれることが多く、ネット上でも人文科学に対する予算を減らすことについては珍しく賛同意見が多かった印象だ。そして歴史的に見れば人文科学が金銭的に余裕のある人や国家によって培われてきた分野であることも確かだ。

だが、本当にそのような学問に意味はないのだろうか。今回は歴史学に限定して話をしたい。

私は高校生の頃から日本史学に関心があり日本史に取り組める環境として近場では最も京大が優れていたため京大を志した。そんな私もただ日本史が好きなだけで歴史学の意味については深く考えなかった。しかし歴史学を学ぶものとして歴史学の意義や意味を知りたいのは必定である。

歴史哲学の書の中で最も著名なものの1つに、イギリスの外交官で歴史家でもあったE.H.カーの書『歴史とはなにか』が挙げられるだろう。書かれた年代が米ソ対立の深刻な時期で少し古いため、すべての内容が現在に当てはまるかといわれれば怪しいが、考え方そのものは今にも通ずるものが多い。

私は『歴史とはなにか』に多大な影響を受け、根幹にある考え方は概ね同じである。

「歴史とは現在と過去の絶え間ない会話である。」

これはこの本の中で度々繰り返される台詞である。どういうことか。

歴史は一度、歴史的価値があるとされたことがこの先ずっと価値を保つわけではない。歴史家が歴史を編むとき、様々な価値判断がくだされる。

まず事実がありその事実が歴史的に重要かどうかを見る。重要であればその事実が過去や未来の事実といかに関係しているかなどを整理していく。

歴史が時代とともに変化していく要因はここにある。価値判断を下し私たちにとって重要と判断されたものは、「今の私たち」にとって重要なのであり「過去の私たち」にとっては重要でないかもしれない。

歴史の変遷はダイレクトに私たちの価値観を反映する。いわば歴史とは価値観の鑑なのだ。歴史学が更新されなければ、今の価値観とそぐわない内容となり理解しがたい歴史観が築かれる。私たちが国家という枠組みの中で生きる限り国家の歴史を理解し受け止めることは必要だ。

例えば、韓国とは歴史問題を巡って対立が深刻化しているが、自国の歴史を知らなければ韓国側の歴史と擦り合わせながら理解するという異文化理解もままならない。グローバルな時代だからこそ自国の歴史を納得して理解し自分なりの歴史観を構築していかなければならないのだ。

歴史家はそのような営為を行う手助けをしてくれる。私たちが独自に歴史を構築しようと思ってもまず何千年という日本の歴史で起きた膨大な事実を整理できないし、過去の研究の蓄積も手元にない。初めにも述べたようにパラダイムシフトするためには『常識』がなければ出来ないのである。「歴史を理解する」ということと「歴史を独りよがりに整理する」ことは大きく違う。

歴史家が歴史的枠組みを構築し更新していき私たちは様々な形で新しい歴史観に触れていく。そうすることで私たちも現代に見合った歴史観を自分なりに理解する下地が出来上がるのだ。

歴史学などを抱える人文科学を切り捨てる政策を打ち出す文部科学省には正直失望している。自分たちの歴史観のみならず考え方を規定しているのは一体どのような人々なのか。私たちは一度人文科学に真剣に向き合った方がいいのかもしれない。