頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

中山道中車輪栗毛5日目

令和の1日目は諏訪湖畔だった。

この日は中山道最強の敵を迎える。その最強の敵に会する前に安全を願いに行こう。

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私が安全を願いに行ったのは諏訪大社。諏訪地方はおろか全国的に参拝客を集める日本でも有数の神社だ。

諏訪大社で道中の無事とこれから迎える大敵に打ち勝てるよう祈願した。

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諏訪大社を出てその敵に向かう。

その敵の名は和田峠縄文時代は黒曜石の産地として利用され江戸時代は中山道の通り道として人々に利用されていた。今でも諏訪地方から佐久や軽井沢の方に抜ける道として利用者の数は健在だ。

中山道では最も難所とされ江戸時代の旅人たちの中には和田峠で命を落としたものもいる。道が整備された今でも相変わらずの難所で10km弱ほど5%を超える勾配の坂道が続く。東海道でいうならば箱根峠の立ち位置である。

諏訪湖はもちろん諏訪地方では一番標高が低く出発地点から和田峠まではずっと上り坂である。

さすが一番の難所。今まで登ってきたどの中山道の峠よりも厳しい。登り始めて30分もすると心臓と肺が握りつぶされた感覚になる。何度か立ち止まり休憩を取りながら登っていると1時間半程度で頂上に到達した。標高1536m。最悪なことに頂上に着くやいなや雨に襲われ寒い。さっさと下ろうと思い旧和田峠トンネルを抜けて下山する。

雨風は弱まるどころか強まるばかり。この日は佐久まで行きたかったのだが、和田峠と寒さに体力を奪われ和田宿で留まることにした。和田宿で温泉につかり休憩所で6時間程度休憩した。

江戸時代の旅人の中にも和田峠を越え雨に晒され和田宿で泊まったものはいるだろう。当時の旅人に思いを馳せた1日である。

和田宿の夜はきのこオムライスだった。長野県はきのこの産地でもあり様々なきのこが入っていて美味しかった。

この日は28km/768mのアップ。