頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

東北チャリ 其の7

昨日のうちに角館から盛岡まで再び戻る。

角館からはほとんど自転車を漕がない。自転車を仙台まで運びながら間の観光地をひたすら回収していく。

岩手県まで来て逃すわけにはいかない場所の1つは平泉であろう。中尊寺毛越寺世界文化遺産に登録され文化的価値はますます高まった。

歴史学徒の端くれとしても平泉エリアは外すわけには行かない。

雨が降りしきる中、まずは中尊寺を訪れた。中尊寺は思っていたより小柄な寺院であった。そして案内のパンフレットを見ながらふと思った。どんな場所もあって然るべき、空間の重層性が平泉ではより顕著に現れていると。

平泉において奥州藤原氏は栄華を誇り、鎌倉初期に源頼朝に滅ぼされるまでは中尊寺もその恩恵を受けていた。しかし藤原氏の保護がなくなると、中尊寺はどんどん勢力が衰えていった。戦国期には戦乱に巻き込まれることもあり、燃えた場所もある。その後、奥州の覇者となった伊達氏は中尊寺を保護した。東北の山岳寺院にはありがちなことである。

この参道の木々はその伊達氏によって植えられたものである。

場所は違えど、この景色は松尾芭蕉が平泉に訪れた際に「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ場所である。

中尊寺を出て昼食を取る。昼食は平泉わんこそば。盛岡わんこそばは給仕さんが付いてひっきりなしにお椀にそばを放り込むらしい。

次に向かったのは毛越寺毛越寺は浄土式庭園の遺構が残る寺院である。

毛越寺は庭園を歩いていれば、そこらかしこに何らかの建物の跡があるのがわかる。中尊寺同様にかつての栄華を物語る。毛越寺の全盛期は庭園もさぞ豪華なことだったのだろう。

平泉を歩いて思ったことは、歴史遺産に触れたときによく出てくる感想の中でも寂しい気持ちだった。中途半端に栄えていた頃が垣間見えるだけになお一層寂しさがましたものだった。