頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

中山道中車輪栗毛3日目 part2

男滝女滝からずっと下ること10分くらいで妻籠に着いた。

妻籠はとにかく規模の大きい宿場町。景観の徹底の仕方は3つの宿場の中で1番だった。いざ妻籠に入ると時代劇の世界に迷い込んだかのよう。細工の店や蕎麦、五平餅の店が並びずっと妻籠にいても飽きない。

妻籠宿を出てしばらくするとすぐに謎の大きな木製の橋と遭遇する。この木製の橋は「桃介橋」といわれる橋で福沢桃介がダムを作った痕跡の1つである。近くに読書ダムというダムがあるのだが、そのダムを作る時に資材を運ぶトロッコを通すものとして作られたようである。

桃介橋を後にしてすぐトラブルが発生する。

なんと車輪が木のツルと絡み大胆に落車してしまったのである。幸い荷物にはなんの被害もなかったが、右手をひどく怪我し血まみれになった。備えが甘く絆創膏を持っていなかったのでしばらくそのまま走った。

その怪我がきっかけで走る気力がなくなり、自分でもどうして中山道を自転車で走り抜こうかと思ったのかと責めた。

しかし途中のセブンイレブンに寄ったときである。気分転換に甘いものを食べようと買い物するとレジのおばちゃんがもう血が止まって痛々しさだけが残る私の手を見て案じ、店の商品を使って看病してくれたのである。

世の中にはいい人もいるものだと少し気力が復活した。

ぶつぶつと言ったところでどうしようもない文句を言いながら走っていると寝覚の床に到着。

寝覚の床は珍しい渓谷である。柱状節理の岩がところ狭しと並び異様な光景を見せるのだ。そして寝覚の床には有名な伝承がある。浦島太郎が玉手箱を開けた場所が寝覚の床というのだ。写真ではわかりにくいが、2枚目の写真の手前に見える大きな石が亀に見え、その石を亀石というらしい。詳しくは忘れたが、確かそれも浦島伝説と関係のある石だった記憶がある。

寝覚の床を出た頃、時刻はもう18時を過ぎていた。私の場合、自転車旅における宿泊地の条件が「①温泉/銭湯があること ②公園や空き地があること」なのだが、この条件を満たす場所が木曽福島しかない。

とにかく木曽福島まで急ぐ。寝覚の床から木曽福島まで3分の2くらいの地点で完全に日が落ちあたりが暗くなった。町ではなく山道。暗い山道を1人で走ることがこんなにも寂しいことだとは思わなかった。今にも泣きたい気持ちを堪え走っていると急に街明かりが見えた。その時は1人であったが「町や!町の明かりが見える!」と叫んだ記憶がある。

木曽福島で温泉に入り適当に夜ご飯を済ませたあと、地元の方と話していると「今晩は雨が降るから今日は空き地よりもそこのバス停で寝たほうがいいよ」との助言を受けた。確かに雨は強まるばかりだ。そして雨のせいでゴールデンウィークとは思えないくらい寒かった。深夜0時の時点で7℃。そもそも福島一帯が標高800mくらいなので元々寒い。

しかも夜の3時くらいに突如空襲警報のような音が鳴り響いた。川の増水を知らせダムの放水を知らせるアラームらしい。

寒いのとうるさいのとでまったく寝付けなかった。明日は塩尻峠を迎える。早く寝よう。

この日は72.8km/1490mのアップ。