頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

スマホカメラがデジタルカメラに勝つとき

私はカメラを趣味にしている。
カメラと自転車が趣味という量産型大学生の様相を呈しているが、私はなにも「みんながやっているから」とかいう下らない理由で始めたわけではない。親の影響で小さい頃から自然と触れるのが好きでその延長線上でカメラとサイクリングが好きになった。写真も風景画がほとんどである。
過去に北海道のサロベツ原野に行ったとき、その光景をスマホカメラで撮影した。しかし、スマホカメラで撮影した写真を見るとどこかこじんまりとした景色が写っていた。
「俺が見た景色はこんなんじゃない。」
目で見た景色をなるべく再現したい。その思いで一眼レフを買いすっかりハマってしまった。今ではカメラなしで出掛けるなんて考えられなくなった。

閑話休題
私が今の趣味にハマった理由なんてどうでもいい。
近頃、私は携帯を変えるつもりである。今の携帯は私が落としまくった影響で液晶にひびが入って画面の左上が見えない。そして買ってから2年2ヶ月の時が経ち動きも悪くなった。
昨今の携帯の写真機能はかなり進歩している。友達が使っているiPhone10はボケが出せたり暗いところの撮影もある程度なら可能である。さらに約1200万画素とかなり高画質で写せるようになっている。さらに写真現像ソフトであるLightroomは携帯カメラにも対応しており色彩まで調整できるようになっている。
このような状況で私がよく言われること。
「もうスマホで一眼並みの写真が撮れるようになった。一眼なんていらなくなるんじゃないの?」
携帯販売代理店では
「今のスマホは進歩している。カメラでも高画質の写真が撮れるようになったし一眼の代わりも出来るよ。」
私は技術的な話はよくわからない。だから機能的に一眼がスマホに並ぶ時が来るかなんてわからない。
しかし、〈デジタルカメラで写真を撮ること〉と〈携帯カメラで写真を撮ること〉が全く違うと言いたい。
私はカメラを趣味にしている人の中ではまだライト層である。フルサイズ機ではなくAPS-C機。レンズも買った頃に付いてきたキットレンズを使っている。それでもデジタルカメラは面倒くさいものである。
携帯カメラはポケットから取り出しボタン1つ押せば撮れる。ものすごく手軽だ。
しかし、デジタルカメラは違う。まず撮影に備えてバッテリーを充電する。そしてカバンにカメラを詰め込み撮影の時にわざわざカメラを取り出す。撮影に際してもF値シャッタースピードISO感度を調整しフォーカスを合わせる。場所によっては三脚も設置しなければならない。ライト層の私でもここまでしてようやく撮影が可能になる。本気でカメラを趣味にしている人に至ってはレンズも変えなければならない。かなり手間がかかる。そして家に帰ってからもSDカードでパソコンにカメラを取り込み現像する。これでようやく写真が完成する。
手軽に撮れるスマホカメラと撮影までの手間がかかるデジタルカメラ。写真一枚に対する重みが携帯カメラとデジタルカメラでは違うのだ。
先日、友達が昔携帯で撮った写真を見返しているとき
「撮ったけどこの写真いらんな。これもいらん。」
といってぽんぽん消していた。
デジタルカメラの場合、パソコンやクラウド上に保管するため消す作業が必要でないことは確かだ。しかし、「必要のない写真」というのは出来上がった写真の中にはない。1つ1つに思い入れがある。
写真は鑑賞用として消費されることもあれば思い出に浸るために利用されることもある。思い出に浸るときもデジタルカメラで撮った写真の方がどこか思い出が迫真をもって迫ってくる気がするのである。
だから私はデジタルカメラが好きだ。
確かに携帯カメラは手軽ですぐに見ることが出来るから便利だ。今でも携帯カメラで十分納得のいく1枚は撮ることができる。反面、デジタルカメラは手間がかかる。
しかし、そこにデジタルカメラならではの良さがあると思うのだ。だから携帯カメラがデジタルカメラに追いつく日はある意味で来ないと思っている。デジタルカメラにしかない面倒さには手軽さが売りの携帯カメラが追いつく日は来ない。

私はこれからもデジタルカメラで日本にとどまらず世界を歩いていくつもりである。相棒のPENTAX K-70にはしばらく付き合ってもらおう。