頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

ヤバイTシャツ屋さん

私はひねくれた性格ということもあって流行りものが大嫌いである。なんでもまずは疑ってかかってしまう。ヤバイTシャツ屋さんもその例に漏れなかった。

ヤバイTシャツ屋さんを一躍有名にした曲はやはり「あつまれ!パーティーピーポー」だろう。最初にこの曲を聴いた時の印象は今も忘れられない。

https://www.youtube.com/watch?v=J5oytYDMWHA


ヤバイTシャツ屋さん - 「あつまれ!パーティーピーポー」Music Video[メジャー版]

「なんだこのパリピ御用達の曲は!こんな騒ぎ方、とてもじゃないが俺にはできない!」

曲の感想として「怖い」が真っ先に出てきたことはおそらくこれが最初で最後だろう。この曲自体は怖くない。むしろキャッチーでかっこいい。怖かったのはこの曲の背景に想定される人たちである。パリピ陽キャ。私たち陰キャの敵である。

 

しかし冒頭の「しゃっ!しゃっ!しゃっ!」の部分が頭からずっと離れない。そして「しゃっ!しゃっ!しゃっ!」が聴きたくてまたPVを見てしまう。ついには音楽アプリのプレイリストに追加するまでになった。

もうこうなってしまえばファンまで一歩手前である。

 

そしてヤバTに心をつかまれる一番のきっかけになる曲と出会ってしまう。

それは「喜志駅周辺なんもない」である。私は喜志駅の付近に住んでいていつも喜志駅を見ながら大学まで通っている。


【LIVE】ヤバイTシャツ屋さん - 「喜志駅周辺なんもない」

「わかるわかる!天王寺まで400円はイタい!喜志駅周辺なんもない!」

そして近鉄南大阪線河堀口駅手前から見ると「あべのハルカスめっちゃ高い」のである。もう地元をテーマにされてしまうとノックダウン。ゴングが鳴り響いた。

そして何よりベースボーカルのしばたありぼぼが可愛い。完璧な可愛さはないが程よくかわいいのである。ルックスだけではない。声もかわいい。朝、学校やバイトに向かうときに聴くしばたありぼぼの声は私を勇気づけ幸せにしてくれる。

 

もっというとヤバTの歌詞は内容がペラペラである。何を言っているかわからないほど歌詞に意味がない。


ヤバイTシャツ屋さん - 「肩 have a good day -2018 ver.-」Music Video

この曲なんて相当ひどい。肩幅が広い人に対する偏見を約3分程度犠牲にしてずっと歌っている。真面目に聴いていた私の時間を返してほしいくらいである。だがその時間の無駄遣い感がとても心地よい。「真面目にバカをやっている」をここまで示してくれた存在は今までなかった。いつしか私は憧憬の眼差しでヤバTを見るようになっていた。

 

私がヤバTにハマるまでの経緯なんてどうでもいい。

これから先は私がヤバTの歌詞から思ったことを綴る。素人が音楽を語ることに抵抗のある人は見ないでほしい。私が恥ずかしい。

ではどうしてヤバTがここまで下らない曲を一生懸命に歌っているのか。考えてみたことはあるだろうか。

「彼らが好きで歌ってるんじゃないの」

私はずっとそう思っていた。くだらない曲を一生懸命に歌うことに一種のユーモアを見出している。おそらくそれは理由の一つだろう。

しかし私はある曲を聴いてからヤバTの見方が変わった。


ヤバイTシャツ屋さん - 「ヤバみ」Music Video

「ヤバみ」はヤバTの楽曲の中でも彼ら独自のメッセージをわかりやすく盛り込んだ曲だと思っている。その部分を以下に抜粋しよう。

「本当に言いたいもんなんて 本当は伝わらないもんね」

「『歌詞に意味がないと!』『説得力がない!』

もうそんな時代じゃない!? 『理解できないものばっかり流行ってく』

いつまで置いてかれちゃってんの」

歌詞に意味がなければだめだ。説得力のある歌詞でないとだめだ。こう思っている人は多い。しかし本当にアーティストのメッセージを私たち視聴者が汲み取れているのか。おそらく汲み取れていないだろう。そんな状況ではアーティスト側も音楽にメッセージを込めるのが馬鹿らしくなってくる。

そして次の曲で「ヤバみ」の歌詞をさらに掘り下げたように見えた。


ヤバイTシャツ屋さん - 「鬼POP激キャッチー最強ハイパーウルトラミュージック」Music Video

特に印象的なのは以下の部分である。

「無料サイト 動画サイト 違法アプリで音楽垂れ流し

もうCDに価値はないんか もはやバンドはTシャツ屋さん

伝えられへん方が悪いんか 聞き流すのが悪いんか

いつかヤバみな深みに気づいてくれるなら それでええ 待ちます

視聴者側の姿勢に対するメッセージ。伝えられヘん方(アーティスト)が悪いのか聞き流す(視聴者側)のが悪いのか。今の日本の音楽業界を取り囲む状況では「歌詞に意味を持たせても意味がない」。それが彼らの言いたいことのように思えてしまう。

「だったらキャッチーでノリのいい曲を作って気持ちよくしようじゃないか。」

彼らの思想が垣間見える気がするのである。

ヤバTは彼らの思想を自分の身をもってして表現しようとしている。そしていつか日本の音楽業界が変わる日を待っているのだろう。

ヤバTにはこれからも日本人アーティストの一種のアンチテーゼとしてこれからも意味のわからない曲を作り続けてほしい。