頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

人とおるときにバリ携帯触るやつ

「また触ってる…。」
「そんなに俺の話おもんない…?」
「俺より携帯が大事…?」
これは私と一緒に何かしてるときに携帯を触る人に対して発生する感情である。

先に断っておくが別に私はメンヘラではない。
私はセカンド童貞のようなもので今後しばらく彼女ができる見込みも能力もない。
しかし私に彼女が出来ても彼女を束縛するつもりもなければ他の男がいる遊びの予定を止めることもない。
でも人といるときに携帯を触る人に対してはどうしてもそう思ってしまう。

別に全く使わないでほしいというわけではない。道順を調べたり話が落ち着いたときにLINEやインスタを確認する。これくらいは誰でもする。
ただ私が許せないのは食事中に触る人や私が話しかけている、あるいは会話しているにも関わらず頑なに携帯を触るような人である。
そういう人に限って話の内容が耳から抜けていて
「ん?なに?もう一回言って?」
あるいは
「そういえばさ、○○やねんけどさ…」
である。

私はそういう人に問いたい。
「なんで俺を誘った?」
関心ごとが私といるというイベントではなく画面の向こうで起きている出来事なら私を誘わなくてもいい。一人でやれ。相手が携帯と対話しているとき、私はその空間から疎外されている。
友達といるのにどこか寂しい思いをする。

会話というものはお互いがあって成り立つものである。相手が話したい内容もあれば私にだって話したい内容はある。それぞれの話題テーマが違う中で会話するからこそ新しい世界も開けるし楽しい。

私の偏見であるが、人といるときに携帯を触る人はこちら側の話をあまり聞かない。そういう相手と話をしてこちら側がちゃんと話を聞くことにどこか不平等さを感じる。「なんで俺だけが相手の話聞かなあかんねん」と思ってしまう。こっちだって聞いてほしい話、同意してほしい話はあるのだ。

「コミュ障」という言葉は自分をさげすむ言葉として丁度良く人気がある。一般的なコミュ障は「おじおじして相手と会話できない」人のことを指すと思うが、私は人といるときに携帯ばかり触る人も一種のコミュ障だと思っている。なぜならその瞬間、会話のキャッチボールができていない。

残念ながら人といるときに携帯ばかり触る人はよくいる。だからこそ私は、私といるときでも私の話をちゃんと聞いてくれる友達が貴重だと思うし大事にしたい。


ちなみにタイトル名はヤバTの曲名にありそうな感じを意識した。