頭の上の蝿を追え

しがない某京大生が日常を綴る

遅刻について申し開く

私はよく遅刻をする。友達との予定であってもバイト先のシフトであっても。大事な予定で遅刻をし怒られて気に入っていた服を破られたこともある。

遅刻といっても私の遅刻はバリュエーションに富んでいる。
1位:寝坊
定番だろう。学生なら寝坊はつきものだ。アラームをかけても気付かないことだって多々ある。
2位:時間の勘違い
LINEで○○時集合ね!って言われしっかり既読をつけた上でしっかり時間を間違える。
3位:家での準備がのんびり
私は実家にいるときは朝や昼、どんな時間に起床してもコーヒー1杯とパンを食べる。そして玄関に出て一服し至福の時間を楽しむ。慌てるべき時でも生理的欲求には勝てない。そうやって電車に乗り遅れる。
4位以下は、乗り換えを間違える、電車で寝過ごす、目的地で迷う、井戸端会議に夢中になるなどである。

「遅刻をしてはいけない」
そんなことは重々承知している。しかしこうも要因が多岐に渡ると簡単に対策を練らしてくれない。1つの要因を潰したと思っても私の前にはまた別のハードルが立ちふさがることだって日常茶飯事。

そして私は中学生の頃から決めていることがある。それは遅刻しても急がないということだ。
仮に遅刻して急いだとしよう。でも急いだって電車やバスが急いでくれることはない。ダイヤは決まっている。走るにしても微々たる時間しか生まれない。
だから私は遅刻したときは逆に堂々と扉を開ける。そして謝れそうなタイミングを見計らって一言「ごめん!」と添える。
ここまで書くと私が嫌な奴に見えるだろう。でも遅刻したくてしてるわけではないし間に合うに越したことはない。第一相手を待たせている。顔に表れていなくても申し訳ない気持ちで溢れているのである。

そして遅刻を繰り返すようになって私は他の人にない武器を手に入れた。
それは「寛容さ」である。私がよく遅刻するものだから相手が遅刻しても責めることができない。そんな時はかえって余暇が出来たと前向きに捉える。そして喫茶店に行き読書にふけったりポケモンに興じたりする。そんな一人の時間も楽しいもの。

今の日本人はいつもなにかせかせかしている。だからみんなも遅刻すればいい。
「この子、レポートの提出期間に遅れて出したなぁ。でも俺も遅刻するし受理してやるか。」
なんと平和なことか。
日本人全員、いや世界のみんなが遅刻すれば私みたいに心に余裕を持って日々を過ごせるだろう。
私は遅刻フレンズが増える日を心待ちにしている。